先日の新聞記事に、30年後の日本人の高齢化率に伴う人口減少の眼を覆いたくなるような予想が記されていた。あくまでも「予想」ではあるが、問題にされながらも明快な解決策が打ち出せないままに時が過ぎているのが現状だ。「人生は100年で考えろ」といきなり言われても、いったいいつまで働かされるのだろうか、それまでの肉体的・経済的問題はどうなのか、と我々庶民は不安になるばかりだ。

 そんな「今」を予見していたような一幕物の小品がある。作者は劇作家の内村直也(1909~1989)で、1982年12月、三越劇場の劇団民藝公演で、岸田國士の『驟雨』と共に宇野重吉(1914~1988)の演出で上演された。宇野重吉は、北林谷栄(1911~2010)と共に『タナトロジー』にも出演し、精力的な仕事ぶりを見せた。当時、私は三越劇場でアルバイトをしており、夜の部などは学校をさぼって二階席の片隅でこの芝居が見せる二人の名優の味わいを堪能していたのを覚えている。

茶の間に座った老夫婦の間に、何か特別な事件が起きるわけではない。淡々とした日常生活の一コマを切り取って会話が紡がれているだけだ。しかし、歳を重ね、豊かな経験を積んだ夫婦の会話の一言は、平易でいながらきちんとした意味を持っている。幕が降りた後も、能のような「余韻」が漂うような芝居で、これは長い役者のキャリアを持つ二人だからこそ出せる「味わい」であり、筆の滲みにも似たものだろう。

「メメント・モリ=死を想え」という言葉がある。最近の日本では「死」などあり得ないことであるかのように遠ざけることに一生懸命だ。しかし、この芝居が上演された頃、アメリカで「タナトロジー」という「死の研究」が始まったと夫の台詞の中にある。確かに、ドイツの哲学者、アルフォンス・ディーケン(1932~)が「死の準備」などの話題で注目を集め、日本でもブームを呼んでいたのはこの頃ではなかっただろうか。しかし、飽きっぽい日本人は、考え、成長し、死を受容することよりも、現世の楽しみをいかに享受することができるかに舵を切った。私もその日本人の一人で、否定をすることはできない。ただ、それから数年後に始まった狂奔的な「バブル経済」は、単なる偶然なのだろうか。「気付け」というサインだったのでは、とは言いすぎだろうか。

我々は、どんなに手を尽くしても死なずに永遠の命を長らえることはできないことを知っている。だからこそ、芝居の中だけでも、多くの不老長寿などの問題がいろいろな角度から描かれて来た。それに対し、クリスチャンでもあった作者の内村直也は、「死は当たり前なのだ」という前提を受け入れた上で、宇野重吉・北林谷栄の二人にこの作品を託したのだろう。どういうわけか、その後あまり上演される機会がないまま現在に至っている。初演の二人の印象が強すぎたのか、今の時代感覚には合わないのか。芸能は時代と共に移ろうものであり、今の感覚ではこの芝居は…というのであればそれは仕方がない。しかし、小品ながらもこうした佳作が、演劇史の中に埋もれてしまうことだけは避けたい、と思う。内村直也はモノローグ(独白)だけの芝居も得意とし、その中で取り上げたい作品もあったのだが、ここではあえて『タナトロジー』にした。現代の演劇界が、失い掛けている、あるいは屑籠の中に捨ててしまった過去の作品の良さを見直す行為に少しでもつなげてほしいからだ。もちろん、「余計なお世話だ」との声も想定した上で。