「追悼 星由里子さん」

 前日に、歌手の西城秀樹の訃報が全国を駆け巡り、一世代上のヒーローの死去にショックを受けていた翌朝、女優の星由里子さんが74歳で「急逝」のニュースが飛び込んで来た。身体を悪くしているという話が公表されていなかっただけに、そのショックは前日の西城秀樹とはまた違った感覚と得も言われぬ喪失感と寂しさが襲った。

 去年のG.Wのことだ。日本橋の三越本店にある「三越劇場」が開場90周年を迎え、本店一階の中央ホールで記念のイベントがいくつか行われた。私事にわたるが、昭和56年から61年まで、大学に通いながらアルバイトをしていた事があり、その縁で30分のトークを受け持つことになった。しかし、私一人が出たところでお客様が喜ぶはずもなく、折角だから、その当時三越劇場で活躍していた女優さんをゲストに、と提案し「星由里子さんを」とのお願いをし、快諾を頂いた。
 当日、鮮やかなピンクのスーツに身を包んで颯爽と登場した星さんは、いつもに変わらぬ笑顔で明るく元気で優しかった。約束の30分の予定が、話があちこちに広がり、大幅に超過してしまったが、楽しいトークだった。その翌月の6月には、明治座の「氷川きよし特別公演」で母親役を演じ、楽屋でしばしの想い出話に花が咲いた。

 星さんとお付き合いを頂くようになってから何年経つか、失礼ながら記憶の彼方だ。しかし、星さんには大きな恩義がある。2016年に、「白水社」の創立100周年事業として、『日本戯曲大事典』という大部の本が出版された。明治以降の劇作家1,000人を取り上げ、その作品10,000本を紹介するという壮大なプロジェクトで、後世の演劇研究者に遺す意義のある本だ。これだけのボリュームの本だと、執筆者は数十人、それぞれが30人から40人の作家について担当することになる。私の担当する作家の中に、星さんの前のご主人である「花登筐」(はなと・こばこ)さんが振り当てられていた。5,000本とも言える膨大な仕事を遺した作家の業績をどうまとめるか困った私は、星さんに相談をした。花登さんの遺稿や資料は出身地の浜大津の図書館に寄贈して、特別のコーナーになっているとのことで、すぐに先方に連絡を取ってくださって、普段は見られないような資料まですべて閲覧できたことが、どれほど助けられたことか。本がようやく出来上がり、それをご覧いただけたことがせめても、だった。

 星さんの印象は、「元気で」「明るい」に尽きる。先に述べた対談の折も、久しぶりにお目にかかった私に「あら、少し立派になったんじゃない、体格が…」と、往時と変わらぬスレンダーな美しさで明るく言われた。それが、少しも嫌味ではないところが星さんの気遣いでもあり、天真爛漫とも言える明るさだった。たまに楽屋へ顔を出して挨拶すると、パッと花が咲いたような笑顔で「あら、いらっしゃい! 今日、観てくださったの?」といつも変わらぬ姿で迎えてくださった。
昨今、携帯電話の発達で時も所も構わずに連絡が取れる。一長一短は百も承知だが、対談が終わってすぐ、携帯電話に可愛いメールが届いた。対談を喜び、楽しんでくれた様子が綴られ、絵文字と共に踊っていた。無理をお願いしても、やはり星さんで良かったと思った。

 ここ数年、お世話になったり、親しい方々の訃報が相次ぎ、電話帳から消したくても消せない、しかし、もう二度とつながることのない番号が増えている。また一件、増えてしまったのが遣る瀬無い想いで言葉がない。