001.『夕鶴』作:木下順二 2017.04.10

連載第一回目は、民話を題材にした木下順二(1914~2006)の『夕鶴』。山本安英(1902~1993)が、生涯にわたって演じた代表作で、戦後間もない1949年に初演、1986年までの37年間に1037回の上演を重ねた。

 言うまでもなく、この作品の元になっているのは民話の『鶴の恩返し』だ。地方や時代により伝わり方に多少の違いはあるが、罠にかかって苦しんでいる鶴を助けた農夫の家に、女性に姿を変えた鶴が身分を明かさずにやって来る。二人は共に生活を始め、鶴は正体を隠したまま、自らの羽を引き抜いて美しい織物を作る。それを町へ行ってお金に変える農夫。鶴は、自分の正体を知られないように、織物を織っている間は決して部屋を覗くなと頼むが、好奇心に負けた男はとうとう部屋を覗いてしまい、自分の妻の正体が鶴であることを知る。真実を知られた鶴は、「もう一緒に「いることはできない」と姿を消す。大方が、こんなストーリーだろう。
 恩返しに来る動物や、人ならぬ物の精などと契りを結ぶという話は、日本は言うに及ばず、中国やインドにも数多く存在し、これを『異類婚姻譚』と呼ぶ。

 木下順二は、この哀しい民話に、「近代的リアリズム」の思想を持ち込んだ。民話を舞台化しただけではないからこそ、この作品を取り上げておきたい。木下順二の『夕鶴』では、鶴を助けた与ひょうという純朴な男が、どんどん俗世間の欲望に落ち込んでゆく。その度合いが深まり、人格が変わってゆくごとに、鶴の化身である「つう」には与ひょうの姿が見えなくなり、声が聞こえなくなる。つまり、民話での破綻の原因である「正体を知られる」前に、二人の関係性が破綻を来していた、ということになる。木下順二の脚本化によって、『夕鶴』は哀しみを込めた民話だけではない新たな広がりの世界観を持った。だからこそ、主演の山本安英も1,000回を超え、84歳で最後の幕を閉じるまで何人も相手役を変えて演じ続けたのではなかろうか。
私が観た舞台は、70代、80代の舞台だったが、日本語の美しさに徹底したこだわりを持ち、自らが勉強会を主催する女優の熱、というものに心を強く打たれたのを覚えている。元来が華奢な身体つきで、鶴の化身がまとう白い衣裳が良く似合っていた上に、声の高さが儚げなガラス細工のようであることも、山本安英の台詞術として堪能した。

 山本安英は、日本の「新劇」の黎明期を担った女優の一人だ。1924(大正13)年に「築地小劇場」(劇場の名前でも劇団の名前でもある)の創立に参加している。ちなみに、文学座の創立メンバーである杉村春子が入団したのは、その3年後のことになる。賞などの栄誉を受けることを好まず、その理由が「本当の年齢を知られるから」という都市伝説のような、いかにも微笑ましいエピソードの持ち主でもある。「新劇の聖女」の異名を持った山本安英がいたからこそ、『夕鶴』は37年にわたって上演が繰り返される幸福な作品としての運命を得ることができたのだろう。

 1976年から今も連載が続いている少女漫画で演劇の世界を扱った人気作品の『ガラスの仮面』。舞台化もされた作品で、この中に登場する大女優・月影千草は、山本安英をモデルにしたとも言われている。彼女の最後の舞台になったのは、公私共にその資質を知る木下順二が描いた壮大な歴史ドラマ『子午線の祀り』の第五次の公演だった。作品を吟味しながら女優活動を続けて来た女優の最後の舞台が『夕鶴』の作者であったのは、女優としての幸福であったに違いない。