高麗屋三代襲名披露公演、昼の部は『箱根霊験誓仇討』(はこねれいげんちかいのあだうち)で幕を開ける。タイトルからもわかるように仇討ち物だが、滅多に上演されない。前回の上演が平成16年12月の京都・南座の顔見世興行、その前は昭和53年10月の歌舞伎座で、十七世中村勘三郎の勝五郎、六世中村歌右衛門の初花、八代目松本幸四郎(当時、のちに初代松本白鸚)の滝口上野(たきぐち・こうづけ)と奴・筆助の二役という配役で、私が観た舞台もこれだった。東京では、実に40年ぶりの上演となる。ただし、前回の上演からタイトルが変わっており、本来は『箱根霊験躄仇討』(はこねれいげんいざりのあだうち)で、昭和期の舞台もそうであった。

 この一文字が替わったのは、『躄』(いざり)という足腰の不自由な人を意味する文字が含まれているためである。私どものような物書きが必携している『記者ハンドブック』にも、明らかに「差別語」として掲載されている言葉で、現在は使われることはなく、文字を一文字替えるという配慮がなされたのであろう。しかし、これは単純に表記を変えればよいという話ではない。理由はいくつかある。歌舞伎の演目には、差別用語を含んだ作品が他にもあり、中には上演されない作品もあるが、現在も上演されている物がある。また、タイトルで差別語が見えないようにしても、芝居の中では、以前の台本通りに演じている部分もあり、これでは意味がない。すべての障害や差別に当て嵌まるなどと傲岸不遜なことは言うつもりはないが、私の経験では、ある盲人の団体との話の中で、「古典作品などで、その言葉を使うことに意味を持つ場合は、それを差別とは考えない」旨の話を聴いた。特に、この演目に関して言えば、単なる仇討ちではなく、足腰立たぬ業病に犯された主人公の飯沼勝五郎が、女房・初花の命を捨てる行為によって奇蹟的に病が回復し、後に仇討ちを成就する、という「奇蹟譚」の側面が大きい。もっと言えば、中世からの芸能の一つの大きな流れである「小栗判官・照手姫」の姿を模したものでもある。このドラマの本質を、漢字一文字を置き換えることで見えなくしてしまうと、何だかわからないただの仇討ち物になってしまう。

 中村勘九郎の勝五郎、中村七之助の初花、片岡愛之助の敵役・滝口上野と奴筆助の二役、片岡秀太郎の母・早蕨の配役だが、初代白鸚も演じた作品とは言え、現在の中途半端な形では、お正月、しかも襲名公演の幕開けの最初に上演することがふさわしいとは思えない。こうしたところに古典芸能の難しさがあるのは充分に理解するが、一方的な自主規制と改悪では発展はない。歌舞伎という芸能は、400年の歴史を乗り越えて来た、それほどにやわな芸能ではないはずだ。

 次は、お正月らしく舞踊の『七福神』。中村又五郎、中村扇雀、市川門之助、市川高麗蔵、中村芝翫、中村鴈治郎、坂東彌十郎の七人が、それぞれの神様に扮して踊る一幕だが、これも昭和33年以来の上演と、こちらは実に60年ぶりの上演となる。めでたい新春を寿ぐのは結構だが、観ていて気付いたことがある。私だけの感覚かもしれないが、「七福神」は馴染みがありながらも、詳しくを知るわけではない。即座に見分けが付くのは女性の弁財天と軍神の毘沙門天ぐらいのもので、一旦動き始めると、誰が誰だかわからなくなってしまうのだ。これであれば、「七福神」をなぞらえて萬歳や芸者、鳶の頭を船に乗せて同様にめでたい舞踊で、しかも多くの人が知る『乗合船恵方萬歳』の方が、よほどわかりやすく、出演者も踊り甲斐があっただろう。なぜ、ここで60年ぶりに『七福神』なのか、理由がわからない。

 めでたい襲名披露興行にケチばかり付けているようだが、高麗屋三代襲名披露の演目は新・幸四郎の松王丸、勘九郎の梅王丸、七之助の桜丸による『車引』から始まる。三つ子の兄弟のバランスも良く、力が入った一幕だ。やはり、幸四郎の松王丸が持つエネルギーの大きさが際立つ。足の親指の先まで力が漲った、力強い梅王丸だ。最近、とみに芸の骨格が太くなった幸四郎が見せる荒事には迫力があり、負けじと力の籠もる勘九郎、女形が演じることになっている七之助、それぞれの芸風に合った一幕だ。そう長いものではないが、堪能できる。

 続く『寺子屋』は新・白鸚の松王丸、中村梅玉の武部源蔵、中村魁春の松王女房・千代、中村雀右衛門の源蔵女房・戸浪の配役だ。敵役の春藤玄蕃(しゅんどう・げんば)は市川左團次、菅丞相の妻・園生の前(そのうのまえ)に坂田藤十郎という大顔合わせだ。涎くりで、昨年大けがをした市川猿之助が元気に復帰をし、襲名に賑やかな花を添えた。『車引』の後の場面の松王丸を、幸四郎の父・白鸚が受け継いだ形だ。
白鸚の松王丸は、今までとは違った、「静かな哀しみ」を腹の底に抱えている感覚が強く出ている。何十回となく見慣れている『寺子屋』であり、昭和56年の九代目松本幸四郎襲名興行以来、幾度この舞台を観ただろうか。派手な見せ場のある大役だが、ことさらにそれを強調するわけではなく、この一幕を通しての松王丸の心根が印象的である。良い意味で力が抜けており、俳句で言うところの「かろみ」のような感覚が出たのは大きい。その分、我が子に死ねと命じなければならなかった親の哀しみが際立った。

 梅玉の源蔵は、自分が匿っている師匠・菅丞相の子息・菅秀才の首を討て、という無理難題を吹き掛けられ、花道から登場する「源蔵戻り」と呼ばれる場面の緊迫感がある。源蔵はここが芝居のしどころで、自分の苦悩や困惑を一気に吐き出し、後は受けに回る役だ。それだけに性根をしっかり持たないと最後までもたないが、ベテラン梅玉のこと、安心感がある。魁春、雀右衛門の女房二人は、それぞれに立場が違いながらも同じ女性同士として哀しみを共有できる感覚を与えた。

 今回の襲名公演の一ヵ月目、昼夜を通して観て、不思議な感覚を覚えた。通常、「襲名」は、新たな名前を継ぎ、その名前に馴染み、自分なりの芸を創るまでにはある程度の歳月を要する。今までに観た襲名披露の舞台も、その出発点を意味するものだった。しかし、この高麗屋三代の白鸚、幸四郎、染五郎は違っている。三人が前の名前で歌舞伎の舞台を踏んだのは二ヶ月前の十一月の歌舞伎座顔見世興行だった。その後、年が明け、この公演が始まって以降、三人ともに、古い上衣を脱ぎ捨てて、新しい名前に合わせてぴたりと採寸した新しい上衣で芝居をしているように、もうすでに新しい名前での「芸風の確立」に向かって三人三様の歩みを見せている。こうした例は他にはあまりなく、稀なことだ。どう変わったのかを一言で言えば、白鸚は今まで身にまとっていた「九代目幸四郎」という鎧を脱ぎ捨て、新しい名前でどんな芝居をどう演じようかという感覚だ。幸四郎は、「十代目」の名に相応しい芝居を見せるべく、声の調子からして違う上に、芝居の線が太くなった。染五郎は、これから声変わりに年代に入るものの、初日と二十日後では全く芝居が違っている長足の進歩を遂げている。親・子・孫それぞれに想いはあろうが、夜の部の襲名口上で「天に向かって舞台に立つ」と述べた十代目松本幸四郎の「覚悟」を観た想いがした。
そうした点で、爽快感のある襲名披露でもある。