Endless SHOCK 2015

 2000年の初演以来、少しずつメンバーを変えながら、16年連続での帝国劇場公演である。その間、一貫して主役を演じ続けているのは堂本光一だ。ショーの世界を舞台にした和製ミュージカルで、ナンバーが定着したものもかなりある。「Show must go on」のテーマが作品を貫いており、その中でいろいろなエンタテインメントを見せる方式は変わっていない。

 2000年の初演以来、何度か抜けてはいるものの、過去の観劇データを調べてみたら、同じ役者が演じる同じ演目の舞台の劇評を10本近く書いているケースは、松本幸四郎の『勧進帳』と森光子の『放浪記』しかない。幸四郎も森光子も、言うまでもなく名だたる名優であり、『勧進帳』も『放浪記』も長い年月を重ねて到達した舞台だ。この二人と同等の重みを持って彼を語ることはできないが、偉業であることは確かだ。それを彼は16年で成し遂げたわけだが、私が評価したいのは、ここへ至るまでの速さや回数などの数字ではない。毎年、帝国劇場を中心に「演じ続けている」ということだ。

 自分にいくら続ける意志があっても、肝心の観客がその舞台を支持してくれなければ、次の機会はない。まして今は、演劇界も混沌とし、多くの新しい作品は生まれても、それが再演されるケースは減る一方だ。そのために、過去の名作の洗い直しが行われる、という利点もある。しかし、こうして現在進行形で「続けている」ことの価値は大きい。
私の考えでは、舞台には「熟成」はあっても「完成」はない。これは、他の芸術分野でも同じ事が言えるだろう。今、15周年を迎え、堂本光一の舞台は完成を目指した熟成の時代に差し掛かっているのだ、と言える。

 ショーの完成度も毎年高くなり、相手役の屋良朝幸も2008年以来の持ち役であるライバルであり盟友、という役どころを的確に捉え、ここ数年で芝居が安定感を増し、堂々とした芝居を見せるようになった。少しずつ新しいメンバーを加えながら、堂本光一を中心にしたカンパニー全体が成長を続けているから、毎年即座に「完売」となるのだろう。
彼は相変わらず、自分の肉体と精神を極限まで追い詰めるかのように宙を舞い、階段を転げ落ちる。しかし、そこに不思議と悲壮感はない。これは想像だが、演じるたびに、台詞の中にあるように「新しい何か」を探しているからなのだろう。この発見のための努力がなければ、舞台は進化しないのだ。観客に「去年よりも面白い」と思わせるためには、舞台に立つ側は、想像以上の苦労を重ねなければ伝わらないものだ。

 それには、彼自身の努力ももちろんだが、周囲のサポートも大きい。一例を挙げれば、劇場のオーナー役を演じている前田美波里の抜群の存在感である。ベテランだから、の一言で片付けられないのは、このカンパニーが持つ力だろう。ミュージカル俳優としての実績はいまさら言うまでもないが、だからこそ安心して委ねられる信頼感がある。こうした人々が同じ方向を観て進んでいるから、カンパニーもまとまりを見せるのだ。

 今回の公演は3月の千秋楽までで75回に及ぶと言う。この間のモチベーションを維持するだけでも、さぞ大変なことだが、この一回一回の積み重ねが、大きな力になるのだ。彼がいつまでこの舞台を続けるのか、それは恐らく彼自身にも分からないだろう。しかし、堕天使が舞うようにフライングをする彼の眼には、「妥協」はなかった。