新橋演舞場のお正月は、長年、先代の市川猿之助のもとで修業を重ねた市川右近が、三代目市川右團次を襲名する公演でもある。猿之助が市川猿翁となり、甥に当たる市川亀治郎が猿之助を襲名し、一門の筆頭弟子として先代の猿之助一門を率い、時には師匠の代役も務めた右近に対するご褒美、とでも言えばいいだろうか。もともと市川右團次という役者は大阪で名を馳せた人で、初代、二代ともに関西の歌舞伎界に名を遺した。新しい物への興味や、「ケレン」と呼ばれる早替わりや本水、宙乗りなどの仕掛けが得意だった役者の歩みが、右近が師匠・猿之助と共に歩んで来た道に似ていることから、この名が選ばれたものだ。もっとも、右團次の名が復活するのは実に81年ぶりのことで、実際に先代の舞台を観ている人はそう多くはないだろう。従って、先代の芸と比較されることはない。新しい名跡を得て子息に右近の名を継がせ、屋号こそ「高島屋」と変わるものの、澤瀉屋一門の筆頭弟子として、さらなる活躍を見せてほしいものだ。

 夜の部は、市川海老蔵が演じる『義賢最期』で幕を開ける。これは『源平布引滝』という作品の一幕で、先月、京都の顔見世で片岡愛之助が演じた『実盛物語』もこの一幕だ。源平の戦いを題材に、源義朝の弟でありながら、平家に味方した義賢が、実は源氏に心を寄せていることを隠しながらも、壮絶な立ち回りの上に死を遂げる、という芝居だ。あまり上演されなかったものを、片岡仁左衛門が若手の孝夫時代に復活上演してから人気となった演目で、幕切れ近くのスケールの大きな立ち回りが見どころだ。

 海老蔵は持ち前の体格の良さを活かし、派手な立ち回りを存分に見せる。戸板を立てた上に立ち上がり、その戸板ごと崩れる「戸板倒し」は満場の客席からため息と大きな拍手が起きた。源氏の武将の正体を隠して奴・折平として仕えるのが市川中車。やはり、時代物の芝居となると、義太夫との兼ね合いや、科白廻しがどうしても不自然だ。いろいろな指摘もあろうが、歌舞伎役者「市川中車」の名を継いだ以上は、その出発の遅れを取り戻すためには一度でも多く歌舞伎の舞台に立つしかあるまい。中村米吉の待宵姫が可憐だ。

 次が、『三代目市川右團次襲名披露口上』。舞台上手より、市川海老蔵、市川右之助、市川男女蔵、市川猿之助、中村梅玉、市川右團次、市川右近、市川中車、市川門之助の9名が並ぶ。中村梅玉はこの興行の「上置き」という形式で、それ以外の主な役者は「市川」姓だ。厳密に言えば、同じ「市川」でも流れは違うが、市川宗家を中心に、同じ姓を持つ役者同志が盛り立てていこう、という気持ちが感じられる。市川右之助は、先代の孫に当たり、『口上』に列座している俳優の中では唯一、血筋を引いている役者だ。しかし、血縁ならずとも「市川右團次」という名前にふさわしい活躍が今後期待できる右近にこの名跡を譲ったことは、潔い。最近、襲名披露公演が多く、毎年のようにどこかで誰かが新しい名前を名乗っている。20年ほど前の「襲名披露」とは、その意味が違ってきたということだ。

 もちろん、集客の問題もあろうが、名前の格を上げることによって、その名にふさわしい芝居ができるような役者に育てるための側面が大きくなった。無論、新しい名前での出発を寿ぐという、歌舞伎に特有の襲名の祝祭的な本質は変わってはいない。それに応えられるかどうかは役者自身の問題だ。新しい右團次が、歌舞伎界の風雲児と呼ばれた師匠の猿之助に肩を並べるような名前になることを祈ってやまない。

 次が、『錣引』。河竹黙阿弥の原作をアレンジしたもので、源平の戦いにおける平家の悪七兵衛(あくしちびょうえ)と、源氏の三保谷四郎の力比べを描いた一幕だ。夜の部ではこの演目が右團次のお披露目狂言となるが、もともとそうドラマティックな内容があるわけではなく、他の登場人物、大谷友右衛門の三位中将重衡、米吉の伏屋姫、市川九團次などの交通整理もあり、何となくバタついた感覚だ。右團次の七兵衛は口跡もよく、力強さもあって適役、対する梅玉の三保谷も武将の風格を見せる。ただ、あえてこの作品でなければ、という意図がわからない。演目のバランスからしても、夜の部の四本のうちの二本が「源平もの」というのはどうしたものだろうか。

 最後は、先代猿之助の当たり役で、今は当代が受け継いだ舞踊の『黒塚』。安達原の鬼女伝説をもとにした能の『安達原』を歌舞伎化し、昭和14年に初代・市川猿翁が初演した作品だ。一見古典歌舞伎のように見えるが、猿之助が演じる老女岩手の感覚に「近代的リアリズム」があり、江戸時代の作品とは一線を画している。
山中のあばら家で一人糸を紡ぐ老婆のもとへ、右團次が演じる高僧・阿闍梨祐慶の一行が一夜の宿を頼む。僧たちの話を聴くうちに、罪を重ねた自分にも救いが差し伸べられると知り、月の薄が原で法悦の想いを感じる岩手。しかし、留守の間に部屋に散らかしたおびただしい人骨を覗かれ、もはや救いはないものと、鬼になる…。猿之助が身の軽さを活かして迫力のある踊りを見せる。右團次の阿闍梨が、それを祈り倒そうとする力を充分に見せるのが良い。猿之助の岩手がいささか元気に過ぎる嫌いがあったが、役者の芸が年を重ねて変わる姿を観てゆくのも面白いものだ。

 歌舞伎界の新陳代謝が激しさを増す中で、今、中堅どころを担っている役者たちがこれからどんな芸を生み出すのか。大きな宿題であると同時に、観客には大きな楽しみでもある。