大阪・松竹座のお正月、昼の部は『吉例寿曽我』で幕を開ける。お正月に「曽我物」というのは江戸以来の伝統で、最もよく知られているのは『寿曽我対面』だが、この芝居は座頭が勤めるのが慣例の工藤祐経をその妻が女形で演じる、という珍しい作品だ。70数年ぶりの上演ということで、工藤祐経の妻・梛の葉御前(なぎのはごぜん)を片岡秀太郎、曽我五郎・十郎をそれぞれ幼名の箱王、一万で中村福之助の箱王、中村歌之助の一万、中村橋之助が小林朝比奈で三兄弟が顔を合わせる。

 舞台になる場面も通常なら「大磯」だが、今回は大磯に近い「鴫立澤」(しぎたつさわ)の雪の場面だ。そこで、『寿曽我対面』をいささか簡略化し、女形が主人公となるため、役柄の重複を避けて「大磯の虎」や「化粧坂の少将」などは出さない。福之助、歌之助ともに元気いっぱいでの頑張りを見せ、長兄の橋之助が朝比奈に回っている。一生懸命さは買うが、いずれも、もう少しというところ。しかし、こうして関西でも昼夜に兄弟で襲名披露の演目を持てる、というのは幸福なことだ。父・新芝翫はもとより、祖父の七世芝翫も喜んでいることだろう。

 次が、昼の部での中村芝翫襲名披露狂言となる『石切梶原』。芝翫の梶原平三に中村鴈治郎が敵役の大庭を付き合い、青貝師六郎太夫に東蔵、娘・梢に児太郎の顔ぶれ。平家の武将でありながらも源氏に心を寄せている梶原平三に、刀の目利きを頼みに来る六郎太夫。六郎太夫は源氏のために三百両という金を必要とし、刀を売りに来たのだ。「名刀である」との評価を下した梶原を疑う大庭たちは、「試し斬り」を要求し、二人を重ねて二つにせよ、と言い、梶原が試すものの一人しか斬れない。散々罵った挙句に大庭たちは去るが、平家方でありながら源氏への想いを持つ梶原が、実は見事な名刀を刀加減で鈍刀に見せていたことがわかる。

 この梶原平三は、歌舞伎の役柄で言うところの「生締め」というもので、分別や理非曲直を弁えた武士、とでも言おうか。芝翫の梶原が、とても良い。命を捨てて、との覚悟を持つ六郎太夫親子に見せる眼差しの優しさや、幕切れの見せ場である石の手水鉢を二つに斬るところ、義太夫に乗って聞かせどころの科白を言う辺りなど、充分な芝居を見せてくれて気持ちが良い。考えてみると、芝翫は、襲名披露の演目に『盛綱陣屋』、『熊谷陣屋』や今月の『勧進帳』などを選んできたが、剛毅な武士や荒事系の役よりも、こうした役柄の方が似合っているような感がある。科白の爽やかさも活き、颯爽とした芸が有効に働く。

 昼の部の最後は『新口村』。『封印切』に続く場面で、傾城・梅川のために公金を横領した忠兵衛が、生まれ故郷の新口村へ戻り、一目親子の別れをする、という一幕だ。片岡仁左衛門が13年ぶりに演じるが、こうした上方の芝居は、やはり上方の劇場で演じると何とはなしに風情が違う。仁左衛門のやり方は、幕開きの忠兵衛と、その後に出て来る父・孫右衛門との二役を変わるもので、初めて孫右衛門を演じた時からほとんどこのやり方で演じている。

 浅黄幕が降り落とされると、一面の雪景色の中に、仁左衛門の忠兵衛と片岡孝太郎の梅川が佇んでいる。この姿が二人揃って非常に美しい。それだけに、今後の悲劇を予感もさせる。坂東竹三郎が演じる地元の女房に、こっそり父・孫右衛門を呼んできてほしい、と頼み、家の中に入る二人。ここで、仁左衛門は忠兵衛から父・孫右衛門に拵えを替え、花道から傘をさしての登場となる。雪道で滑って転んだところへ、思わず飛び出しあれこれと世話を焼く梅川。その様子や言葉の端々から、事情を察した孫右衛門は、もうここにも追手が回り、養子に出した先の親も捕らえられたと聞く。どうか、覚悟を決めて名乗って出ろ、と姿の見えぬ忠兵衛に語りかける。梅川の機転で、言葉を交わさぬようにと目隠しをし、今生の名残を惜しむ親子に聞こえたのは追手の太鼓…。何とか二人を逃がし、雪の中で苦悶する孫右衛門。

 仁左衛門は、父・十三世が孫右衛門を持ち役にしていたこともあり、頻繁に忠兵衛を演じて来た。若々しいとは言え、70歳を過ぎ、孫と共演するような年代になったこともあり、以前の孫右衛門よりも内輪の心理的な演技が深まりを見せた。経済的にも町人の力が大きくなった時代に、世間への「義理」と親子の「情」に板挟みになり、それでも我が子可愛さにお寺へ納めようと思っていた大事な金を、逃避行の路銀に持たせる親心。降りしきる雪の中で、少しでも遠くへ安全に逃がそうと、老体で舞台をうろうろする孫右衛門の心境は胸を打つ。

 ただ、このやり方の場合、替え玉の忠兵衛が観客に顔を見られぬようにと手拭いをしきりに顔に当てることになり、やたらに泣いているように見えてしまう。そうなると、この前の場面である『封印切』で男の意地を見せ、一人の女郎のために公金に手を付けた男、という人柄とのズレが生じてしまう。二役を変わる、というのは決して悪いやり方とは思わないので、この部分をもう少し工夫すれば、さらに親子の感情の交錯に観客がのめり込んでいけるだろう。

 今年は全国的に寒い冬で、雪景色が良く似合った。