一月に歌舞伎座で幕を開けた「高麗屋三代襲名披露公演」が四月の名古屋・御園座を経て、博多座で幕を開けた。今月は、新・市川染五郎は学業のため、舞台での披露は九代目松本幸四郎改め二代目松本白鸚、七代目市川染五郎改め十代目松本幸四郎の親子を中心に、坂田藤十郎、片岡仁左衛門、中村梅玉、中村魁春、中村鴈治郎、市川高麗蔵、大谷友右衛門らの顔ぶれだ。

 昼の部は、市川猿翁が三代目市川猿之助時代に復活し、完全に現在の歌舞伎のレパートリーになった『慙紅葉汗顔見勢』(はじもみじあせのかおみせ)、通称『伊達の十役』の通し。「伊達騒動」を舞台に、歌舞伎の名作『伽羅先代萩』(めいぼくせんだいはぎ)に『累』(かさね)の物語を筋に置いたもので、一人で十役を演じ、四十数回にわたる早替わりを見せる。中には、花道の七三ですれ違いざまに役を替わる早業、そして悪役・仁木弾正(にっきだんじょう)の宙乗りでの引っ込みと、みどころが満載の芝居だ。タイトル通り、幸四郎は汗をかきながら十役を早替わり、満場の喝采を浴びている。

 早替わりの技術も工夫が進み、猿之助が初演した昭和54年の舞台に比べればずいぶんスピードアップされている。早替わりを見せる演目は多いが、ただ変われば済むというものではなく、変わった瞬間に姿形だけではなく、その役の性根まで変わってはじめて早替わりと言える。立役・女形は言うに及ばず、悪役、正義の味方と全く性格の違う十人の人物を演じ分けるのは並大抵のことではないだろう。幸四郎がこの舞台に挑戦したのは平成26年のことで、以来、博多座で一度上演し、今回が三度目の上演になる。ほかにも市川海老蔵が三回上演しているが、他の家の作品に積極的に挑戦し、自分の物にしようという意欲は、これからの歌舞伎を創る上では重要な要素で、それを襲名狂言の一つに選んだことでも、今後の抱負がわかるような想いがする。

 長い通し狂言の中で、十役をテンポ良く変わる中で、元になっている『伽羅先代萩』の「御殿」の場面は、ほぼそのまま、「飯炊き」(ままたき)と呼ばれる場面を抜いて上演されている。ここは、女形の大役である政岡が、我が子の命を犠牲にして、家を守る忠義を見せる難しい役で、女形の役の中でも相当な力量を必要とするものだ。幸四郎は、この政岡が中で最も良い出来栄えだった。心ならずも忠義のために、我が子の死を目前にしながら何もできなかった母親の哀しみが一気に噴出する場面は、本役と言っても良い出来だ。この奮闘に、仁左衛門が敵役の八汐、父・白鸚が遊郭の亭主で顔を見せ、花を添える。

 夜の部は、仁左衛門の『俊寛』で幕を開ける。人気の作品で、今までに何人の「俊寛」を観て来たことだろうか。仁左衛門も、孝夫時代から手掛けており今回で七回目となる。鴈治郎、猿弥といういささか流人にしては体格のよい二人に加え、子息の片岡孝太郎の海女・千鳥、坂東彌十郎の瀬尾、梅玉の丹左衛門。今まで観た俊寛の中には、老齢で足が覚束ないのか、長年の流人生活で衰弱しているのか判別しかねるものもあったが、仁左衛門の俊寛は、感情の流れが鮮明で、わかりやすくはっきりしている。もちろん、老齢ではなく衰弱した俊寛という立ち居振る舞いの中で、芝居の決まりを見せる。一方で、今までにあまり見ない演じ方を見せた場面も多く、これは当代の仁左衛門のやり方だろう。いくつか例を挙げると、幕切れ近く、一人島に残る決心をしながらも、赦免の船が遠ざかる姿を見て心が揺れ動き、船を追い掛ける。この時、花道の七三辺りで波が押し寄せ、舞台へ戻る、というのが一般的だが、今回は、すっぽんの中へ身体を半分以上沈め、海に沈みかかった様子を見せる。昭和56年に、独自の解釈で「武智歌舞伎」を興した武智鉄二の古稀の祝いに豪華なメンバーを揃えて歌舞伎座で一日だけ「武智歌舞伎」の演出で実川延若が『俊寛』を演じた折に、このやり方を見せた。同じ上方の役者であり、合理的な解釈である。
 
 また、幕切れ、とうとう船が遥か彼方へ去った後、微笑みを浮かべる。自分が助かりたい、仲間と一緒に故郷へ帰りたいという欲望を捨て、悟りを開いたのか、煩悩から解脱したのか。このやり方で幕を切るのは、前進座の創立メンバーの一人、中村翫右衛門が見せたやり方だ。前進座創立50周年の折に歌舞伎座へ初出演し、『俊寛』も上演されたが、その時にゲスト出演していたのが当時孝夫だった仁左衛門であり、それが印象にあったのだろうか。

 孝太郎の千鳥が愛らしく、島の在郷らしさがよく出ている。梅玉の丹左衛門、せっかく柄に合った役柄なのだから、もう少し気持ちよくやった方が、観客の情も集まるのではないだろうか。

 古典歌舞伎の場合、「誰々の型」という話題が芝居通の間で云々されることがあるが、動きや感情を伴った意味での「型」の正確な内容や気持ちの流れは、演者でなければわからないと私は考えている。しかし、「誰々の解釈」「演じ方」はさまざまで当然で、それが先人の良いところを集めて自分の演じ方を創ることは決して悪いことではない。歌舞伎という芸能の歴史そのものが、演技だけではなくその繰り返しだからだ。

 次の『襲名披露口上』には、上手から片岡仁左衛門、大谷友右衛門、片岡孝太郎、中村鴈治郎、坂田藤十郎、松本白鸚、松本幸四郎、中村魁春、市川高麗蔵、坂東彌十郎、中村梅玉の11人が並んで、それぞれお祝いの言葉を述べる。最長老で今年86歳の坂田藤十郎が、一月以来、名古屋、博多と舞台中央で口上の口火を切っているのはたいしたものだ。襲名披露興行も4ヶ月目を迎え、二人とも新しい名前に対する違和感がなくなった。

 続いて、白鸚が主演を勤める披露狂言の『魚屋宗五郎』。60代になってから積極的に世話物を手掛けるようになったが、この作品に限らず、演じるたびに芝居が軽くなってゆく。今までに「松本幸四郎」という名前を背負っていた重圧から解放されたことも手伝ってか、今回の宗五郎はさらに軽みを増した。それだけに、この一家の悲劇や家族の想いが際立つ。妹を屋敷へ奉公に出したものの、不義の疑いを掛けられ、なぶり殺しにされた。遺体も返らず、具体的な事情もわからぬままに途方にくれる家族のもとへ悔やみに来た同僚のおなぎ(市川高麗蔵)から詳しい事情を聴き、濡れ衣を着せられて命を落としたことに怒り心頭、金毘羅様に誓って断っていた酒を呑み、だんだんに酔っていく様子を見せるのが、この芝居のみどころだ。呑めばタチが悪く暴れるので辞めていた酒を、今日ぐらいは、と一旦呑み始めたら止まらないのが酒飲みの常だ。一杯から二杯、三杯へと、周りが止めるのもきかずに呑み続け、だんだんに酔いが回る様子が見せ場にもなっている。今回で五回目となるが、「禁酒」の誓を破る理由になる宗五郎の兄としてのやるせなさが、前面に出ており、それがストレートに伝わり、観客の無胸を打つ。この襲名披露で感じていることで、他の公演の折にも書いたが、今の白鸚はそれまで背負っていた大きな重い荷物をはずし、どんどん身軽な芝居になっている。それは、今後の芝居の広がりを示唆するものでもあろう。その兄の想いに火を付ける立場になってしまうのが高麗蔵のおなぎだが、変に狎れておらず、初々しさを保っているのがいい。宗五郎の女房おはま、魁春が演じている。最近、亡父の歌右衛門に面差しが似て来たようだ。

 最後が、幸四郎の『春興鏡獅子』。10年前の歌舞伎座、5年前の国立劇場に続いて、3回目の上演である。御殿勤めの小姓・弥生が、広間で踊るうちにそこにあった獅子頭を手に取ると、自らに獅子の精が乗り移り、引きずられるように花道を引っ込んでゆく。胡蝶が二人戯れている間に、可愛い少女から勇壮な獅子の精に変わって再登場し、獅子の舞を見せる、というものだ。『連獅子』に似ている感覚を持たれるかもしれないが、全く違うもので、人間が獅子の精に変わるという共通点はあるものの、10代のあどけない少女から獅子に変わる流れは、「若女形」と「立役」が共に演じられなければならない、難しい舞踊だ。

 幸四郎は舞踊「松本流」の家元でもあり、舞踊に優れているのは周知のことだが、中でもこの『鏡獅子』は、大切にしている作品の一つだ。仇や疎かな気持ちで舞台に掛けられるものではない、という気持ちが一層強いのだろう。事実、娘を演じなくてはならないために、頻繁に演じておけば慣れるだろうという考えを一蹴するかのように、今までにも5年に一度しか上演していない。それほどに、大変なものだ、ということを知っているからだろう。

後半、獅子の精になってからは動きも派手で、白く長い毛を振って見せる迫力に観客は喜ぶが、前半の弥生を踊ることはさらに難しい。まずは初々しい「お小姓」に見えねばならない。40代半ばに差し掛かった幸四郎の弥生は、20代でも通用するほどに美しく、可憐であった。今までに演じた物の中では最高の出来だ。もちろん、本人にしてみれば「まだまだ」というところはあるだろうし、完成されたわけではない。しかし、恥じらう少女の姿は、『勧進帳』の弁慶を演じる役者と同じには見えない。それほどに徹底して「弥生」を踊っていることは評価に値する。「50歳までは『鏡獅子』が踊れる役者でいたい」と本人から聴いたことがあるが、それは夢ではなく、現実の範囲として充分にあり得ることだ。それは、博多座の客席が息を詰めてこの舞台に見入っている空気を感じたことでも証明できるだろう。

 幸四郎という名の披露狂言の一つとして温めていたものが充分に花開いたとも言える充実した内容は、今月の一番の作品とも言える、中村壱太郎、沢村宗之助の胡蝶も幸四郎の熱演に引きずられるように力を出し切っている感がある。

 舞台は生き物であり、日々変わる。その繰り返しで、役者が突然、それまで内に貯めていたものを開放するかのように大きく広がる瞬間を観た想いがした。