立川志の輔と「下北沢」の付き合いは長い。毎年夏に本多劇場で『怪談 牡丹灯籠』を語るようになってから10年以上になるが、その遥か以前からもっと小さな劇場での独演会を開いており、トータルで30年以上、小劇場演劇の盛んなこの町での公演を続けていることになる。

 明治時代の落語の名人・三遊亭圓朝の怪談噺の中でも人気が高いこの噺は、中国の怪談集『剪刀新話』(せんとうしんわ)にその源泉を持つ。この書は上田秋成の『雨月物語』など、江戸末期から明治期にかけての日本文学に大きな影響を与えた書物の一つだ。圓朝の『牡丹灯籠』は、全編を語ると約30時間にも及ぶという続き物の因果噺・怪談噺で、のちに歌舞伎化されてもいるが、いずれにしても上演されるのは『お札はがし』や『栗橋宿』などの一場面で、それらを「名人」と呼ばれた噺家が磨き上げて来たものだ。

 志の輔はこの長大な作品の隠れた部分を掘り起こし、一気に一晩で全編を話して物語の全貌を聴衆に分かってもらいたい、との気持ちでこの試みを始めた、と語っていた。確かに、『圓朝全集』に収められているものは非常に長く、馴染みのない人物も多い。そのため、最初に約1時間少しをかけて主な登場人物の因果関係とこの物語で果たしている役割をパネルで説明する。その後、中入りを挟んで、約1時間20分、合計3時間に及ぶたった一人の『牡丹灯籠』である。歌舞伎で言えば、一人で『仮名手本忠臣蔵』を通して上演するようなものだ。

 立川志の輔の落語への愛情を今更ことごとしく述べる必要もない。もう10年以上も前、ある新聞に「この人は落語と心中する決意なのではないか」と書いたことがある。現在改築中の渋谷・パルコ劇場での一ヵ月に及ぶ「志の輔らくご」は、まさにそれを具現化しているかのようだった。パルコ劇場が改築に入ってもなお、その熱意は一向に衰えを見せず、創作・古典ともに「深化」を続けている。この『牡丹灯籠』にしても、10年以上も同じ噺ばかりを、今年で言えば10回口演するエネルギーはどこから出て来るのだろうか。もうそろそろ他の作品に変えては、という声もあるかもしれない。しかし、去年と今年と二年続けて聴いてみると、そんな生易しい問題ではないことに気付く。恐らく、体力の限界まで『牡丹灯籠』に挑むであろうし、他の噺に挑戦するのであれば、どんな方法にするかはともかくも新たな企画として立ち上げるだろう。
 なぜそう感じたか。去年と今年では、志の輔自身が力点を置いて話す人物が変わっているからだ。去年の高座と事細かに比較することは容易ではなくその能力もないが、去年は「知られていない物語」にスポットを強めに当てながら、物語の全体像を浮き彫りにした感覚があった。しかし、今年の高座は、『栗橋宿』で主役に躍り出る「伴蔵」という、幽霊に取り殺される美男子・新三郎の下男のような仕事をしていた悪党の姿を、他の登場人物の口なども借りてくっきりと浮かび上がらせていた。これは、私だけの個人的な感覚かもしれない。しかし、そう思えるほどに『牡丹灯籠』がいろいろな角度から切り込み、語れる噺であること、それが、この企画が10年以上も続いてなお聴衆を飽きさせない理由ではないのだろうか。

 志の輔という噺家にとって、オリジナルや新作、古典を見直しながらの上演の二本は大きな柱である。その中でも、『牡丹灯籠』は掌中の珠として慈しみ、あるいは苦しみながら毎年暑い盛りにどう語るかを工夫するものなのだ。役者に「当たり役」と呼ばれる役や作品があるのと同様に、古典の大物の中で志の輔は、自分の『牡丹灯籠』の完成に向けて挑戦を重ねて来たのだ。これはいつ果てるとも知れず、決着がつかないままになる可能性もある。時代と共に変容する「芸能」に携わる者の宿命、とも言えるものだろう。しかし、それを知りつつあえて落語に殉じようとする志の輔の姿を、賑やかな落語の人気にあやかって気軽に独演会などを開いている人々はどう感じるのだろうか。